涙の訳 その②
やるべき事を全てやっても泣き止まない息子に手を焼き、変な詩まで作ってしまった数日前の自分でしたが、数日経った今も変わらず、日中の大半は息子と向き合っております(今もソファーで元気にギャン泣き中)
未だその理由が解明できていない涙の訳でありますが、今日少し心構えを変えてみたところ、ポジティブな気持ちになれました。
どのように心構えを変えたのかというと、これまでの「どうやったら泣き止むのか」という受け身な発想から「涙の訳を解明するために、毎日仮説検証をして取り組んでみよう」という攻めの発想にシフトしてみました。
具体的には、
これまで・・・そもそも「どうか泣かないで」が前提で、泣き始めてから「どうしよう…」と対策を考えていた
今日から・・・「次に泣いた時にはこういう事をしてみよう」と予め準備をしておき、泣き始めた時には「よっしゃ、この方法が通用するか試したろ!」とチャレンジ精神をもって対応する事にした
という気持ちの変化を行いました。
要はPDCAをしっかり回す事にした、という話なのですが、これだけでギャン泣きの時間を楽しむ余裕が出来た気がします。
ちなみに、最初の仮説として、何もないのに泣いている時は「暇でつまらんからお前ら相手しろや~!」の合図であると捉え、泣き始めた時にはYOUTUBEで調べた色々な遊び歌を試す事にしました。
これ、最初の仮説としては割と良い線いっていたみたいで、特に揺れが加わる遊び歌の場合は結構な確率で歌の途中で泣き止んでくれました。
あくまでも泣き止むだけで、遊び歌が終わるとまた直ぐに泣き始めてしまうのですが、少なくともその時間はちびすけにとっては有意義な時間になっているのは間違いないみたいなので、一旦は「泣いている時は色々な経験を望んでいる」という仮説の元、色々とトライしてみようと思います!